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Prasat Suor Prat

Constructed : late 12th-early 13th century
Religion: Buddhism ・ Brahmanic (Vishnou)
Style :
King : Jayavarman VII ?. Indravarman II(wikipedia) ?

Prasat Suor Prat 綱渡りの踊り子の塔
初めて聞いたとき、アプサラの衣装を着た女の人が綱渡りをしている姿を想像した。

後日、故 ケオ・キナル氏に「そんなことがあったでしょうか?」 と聞くと。
「周達観は(この塔について)なんと言ってますか?」 と聞き返された。
「裁判所のような場所だと・・・」
「真臘風土記に書かれています。綱渡りの話は、何時、誰が言ったでしょうか?」

「昔 この辺りに住んでいた人がそう呼んでいたのだと思いますが、記録に無い話です。」
「そうですかぁ・・・」チョット」がっかり

学術と遺跡観光の隔たりを大きく感じた。

日本が修復していた為か、この遺跡に関する日本語の情報は比較的多いけれども、作られた年代など謎が多い。


N1 N2 N3
N4 N5 N6
S1 S2 S3
S4 S5 S6

 

EFEO のサイトにあった、Prasat Suor Prat の出土品の画像


Avalokiteshvara?


Vishnu?





学術論文 拾い読み 注:読み間違い、写し間違いある場合があります。

JSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)
1994年~2004年までの断続的発掘調査
テラスに関しては、4段階の増改築を経て採集形態に至ったと考えられている。
出土中国陶磁の編年所見からテラスの構築年代を見ると、12世紀以前から14世紀頃と推定。
十分に解明されたわけではなく、重要な疑問点を残していると思われる。
ジャヤヴァルマン7世によって造営された遺構(バイヨン期:12世紀後半~13世紀)と考えられていたが、それよりも約100年早い時代のアンコール・ワット期(11世紀~12世紀前半)の遺構である可能性が高まってきた。
王宮前の広場の東縁に林立する群塔
東南アジアでは「広場」と位置づけられる史跡は極めて稀であることから、その正確はいまだ明らかではない。

L字型のテラスの上にある。

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塔の年代:
EFEOの建築・美術様式を基にして塔の造営年代の推定:
グレーズ(Glaze,M) ジャヤヴァルマン7世期(1220~1243AD)
ジャック(Jacques,C.) インドラヴァルマン2世期
の造営と考えた。
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諸説あるが、絶対年代が不明

王宮テラス同様に、砂岩の壁面に囲まれていた。

テラス構築編年
第一期 11世紀後半~1世紀前半
第二期 12世紀後半~13世紀前半
第三期 13世紀前半~13世紀後半
第四期 14世紀初頭~15世紀前半

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12基の塔が同時期に建立されたかは不明

造営は最終 完成 まで至っていない

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