Observations / Commentaires :document étranger Date probable de fondation : 947, inscription mentionnant l’érection d’une statue dorée de Shiva. Roi commanditaire : Rajendravarman (nom posthume : Shivaloka). Dégagement par Henri Marchal en 1919. ※EFEO |
アンコール・トム 南大門に向かう道の左(北)にある小さな遺跡。
初めてカンボジアに行った時のガイドさんが「鳥の翼に護られる」と言う意味ですと教えてくれた。
なんだか良くわかんない名前だ、と思ってそのままになってましたが、王朝年代記にこんな話がありました・・・。
王(naai kreak) は頭を病み、占星術師の長を呼んで診てもらった。
占星術師は、「王の死後、子孫は傘蓋の下に続かない(王統が絶える)。
(旧)王統であるbrah thongの子孫が帰ってきて、王冠を引き継ぎ、王朝を続けるであろう」と予言した。
王(naai kreak) は驚き、軍に全ての属国に行き、tampang kranhuungの反乱を逃れて隠れている旧王朝の血族を全て殺せと命じた。
森に隠れて暮らしていた、旧王族の王女(raaja dhiitaa)も捕らえられ、頭と腹部を切られて殺害された。
胎内にいた王子(raaja kumaara)は、王女の体内を胸の中まで這い上がって、刑吏が去ってから地面に這い出て来た。
すると鳥が舞い降りて来て、翼を広げて王子(raaja kumaara)が太陽の熱に当たらないように覆った。
殺害された母から取り出されて生きながらえた王子がいたのかな・・・?
Memo
tampang kranhuung:木の伐採に徴用されていた男。軍を組織して、反乱。謀反して、王位を簒奪。
naai kreak: tampang kranhuung をたおして新王朝の王になる。
raaja kumaara:旧王朝の王(brah thong)の子孫。牛飼いに拾われ育てられる。naai kreak の死後 王となった。
「カンボジア 王の年代記」 :明石書店